こんにちは!カズキです!
本日は神戸の歴史第2段として、中世の神戸を紹介します!
今回紹介するのは、平安時代と鎌倉時代の2つの時代です。
あなたの知らない新しい神戸を知ることができるかもしれません(^^)
平安時代
当時の神戸は、首都である京都から瀬戸内海方面へ物資を運ぶための港をとして重要な場所でした。
12世紀頃(平安末期)に平清盛はその重要さに目をつけました。
神戸の港ー当時は大輪田の泊(おおわだのとまり)と呼ばれていましたーを改修し、日本と中国(栄)と貿易を行ったのです。

そして、なんと清盛は神戸の福原に都を移す計画をしたのです!
神戸に都を移すことで、中国との貿易の指揮を自らが取るつもりだったと言われています。
400年も続いた平安京から都を移すことになったので、当然、高倉上皇や同じ平家一門から反対の声が挙がりました。
しかし、それでも清盛は強行したのです。すごいですね(^^;
そんな反対も押し切られて移された都ですが、まさかの半年で頓挫するこになりました。
急に決まった計画なので、都市整備も進んでなかったですし、全国各地で反乱が起きていたため、それを抑える方が優先となったようです。
行くのも戻るのも超早いですね(笑)
高倉上皇はもともと遷都に反対だったため平安京を放棄していなかったので、特に問題なく戻ったようです。
こうして福原京は幻となりました。。。

室町時代
室町時代においては、足利尊氏と楠木正成が戦った「湊川の戦い」の舞台となりました。
この戦いでは楠木正成が敗れました。

そして、足利義満を中心に日本と中国(明)の勘合貿易で国際貿易の港として発展を遂げていました。
この貿易は、久しぶりの日本と中国の「公式」な貿易でした。
なんと600年ぶりの貿易だったそうです。
前述した平清盛の貿易は私的な貿易だったのですね。
まとめ
今回は中世の神戸について簡単に紹介させていただきました。
ほとんど、平清盛についての内容ですが(笑)
また新しい情報があれば随時更新して行きたいと思います(^^)
コメント
神戸に首都が移っていたら、面白かったんですけどね!
そんなことがあったなんて驚きでした。
また続きを読みに来ます!
みぎしんさん
コメントありがとうございます!
楽しみにしていてください(^^)