神戸の有名観光地「生田神社」の歴史について解説

こんにちは!カズキです!
先日歴史塾に参加して、やっぱり歴史って面白いなと改めて感じました。

それに触発されて、本日は久しぶりに神戸の歴史について紹介させていただきます!
今日のテーマは、神戸の有名観光地のである「生田神社」です。

大都会のど真ん中にあるのに、行ったことない、少し見ただけで帰って来たという方も多いのではないでしょうか?
そんな方々がもう一度生田神社に行きたくなるように、しっかりと解説していきますので、よろしくお願いします!

生田神社とは?

県外の方だと、生田神社という名前だけ聞いたことがあるという方も多いと思いますので、まずは簡単に概要だけお話しします。

生田神社はJR三ノ宮駅から北西へ徒歩10分、東急ハンズの裏側にある神社です。
交通の便が良いので、観光途中に急に行きたくなっても気軽に寄ることができますし、観光のメインにしても他の観光地も問題なく回れるという素晴らしい場所にあります。
反面、交通の便が良すぎるので、地元の方はあまり行かないかもしれませんね。

そして、生田神社を有名にした行事は間違い無くこれでしょう。

2007年の陣内智則×藤原紀香の結婚式

当時、テレビで生田神社の映像がよく流れていたので、ここで名前を知ったという方も多いと思います。
この2年後に離婚して少しマイナスイメージがついてしまいましたが、生田神社では今でも結婚式が多く行われています。

結婚式が行われることからわかるとおり、生田神社は縁結びの神様として有名です。
縁結びのお守りや、縁結びの水みくじなどがあります。
それはまたの機会にお話しさせていただきます(^^)

生田神社はいつ誕生したの?

生田神社がいつ誕生したのか、それは日本書紀に記載されています。

三韓征伐【仲哀2年(西暦193年)〜】

九州南部に住んでいるヤマト王権に反抗する人々が貢物をしなかったことがありました。
その背後に朝鮮半島の神羅(当時の国家の名前)の動きがあることがわかり、神功皇后(じんぐうこうごう)は朝鮮に出兵しました。
その結果、新羅を降伏させて、次いで百済と高句麗も服従させ、日本の支配下に入れることに成功しました。
新羅、百済、高句麗の3つの国に勝利したことで「三韓征伐」と呼ばれています。

「ついでに、百済と高句麗も落としたぜ!」みたいな書き方ですが、当時の地図を見ると百済も高句麗も新羅より領土大きいのです。このことから神功皇后の凄さがわかりますね(^^)

生田神社誕生【仲哀10年(西暦201年)〜】

三韓征伐を終え、神功皇后が難波へ向かっている途中、神戸あたりで船がくるくる回って進まなくなります。

武庫で神託を受けると、稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れて「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」と言われました。
無理やり訳すと、「私は活田(いくた)の長峡国(ながおのくに)にいたいから海上五十狭茅(うなかみのいそさち:人の名前です)にお願いして活田の土地に祀らせて欲しい」という意味になります。

そして、この「活田長峡国」というのが現在の神戸と言われています。
こうして稚日女尊を祀った神社、生田神社が誕生しました。

ちなみに、稚日女尊は天照大御神の子または妹と言われています。
稚日女尊は織物の女神様でもあるので、糸でご縁を繋いでくれる縁結びの神様になったんですね(^^)

神戸の地名の由来になった

実は生田神社は神戸の地名の由来にもなっているのです。

神戸(こうべ)誕生

生田神社誕生からおよそ600年後の延暦25年(西暦806年)に、生田神社へ税金を納める44戸の家「神戸(かんべ)」が朝廷によって作られました。

この「戸」という単位ですが、当時は1戸20人程度のグループだったそうです。
つまり、生田神社の地域には800人近くの集落があったということになります。

そうして、生田神社一帯の地域が「神戸(かんべ)」と呼ばれるようになりました。
しかし、中世になると「紺戸(こんべ)」に変わり、近代には「神戸(こうべ)」になりました。

これが本当だとすると、神戸のルーツはこの44戸の家だったということになるわけです(^^)

蘇りの神社

生田神社は、何度も災害を経験しているのにも関わらず、そのたびに必ず復活してきたのです。

生田神社災害の歴史
  • 延暦18年
    (西暦799年)
    大雨による洪水

    生田神社は砂山(いさごやま:布引の滝がある山)の山奥に祀られていました。この時、大雨の影響で流されてきた松の流木によって社殿が大きく傾く。
    この事故から、安全な場所を探し求めて、今の場所に移動してきた。

  • 安政元年
    (西暦1854年)
    安政の大地震

    支柱以外が全て崩壊。

  • 昭和13年
    (西暦1938年)
    神戸大洪水

    山が崩れ発生し、土石流が流れ込み、神社の鳥居も濁流により洗われる。

  • 昭和20年
    (西暦1945年)
    神戸大空襲

    全ての社殿、生田の森の楠木などの多くが焼けてしまう。

  • 平成7年
    (西暦1995年)
    阪神・淡路大震災

    拝殿が大屋根だけを残して倒壊。他の大鳥居、灯篭、玉垣も倒壊し、桜門も傾いた。

このように何度も災害を経験していますが、その度に復興してきたことから「蘇る神」として信仰されてきました。
ちなみに、延暦18年の洪水以降、生田神社はいっさい松の木を使わなくなったという伝説があるそうです。

まとめ

本日は生田神社について紹介させていただきました。

生田神社のことを深く知ることで、次に訪れた時にはもっと楽しめると思います。
私も生田神社に行きたくなってきました(^^)

それでは、また次の歴史記事をお楽しみに!

施設情報

生田神社

住所  :神戸市中央区下山手通1丁目2-1
電話番号:078-321-3851
閉門時間:17時

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